2012年9月10日月曜日

2007年 沖縄旅行記 第九章 守礼門

前回は首里城正殿を見学しました。
順番は逆になってしまいましたが今回は首里城の大手門に当たる守礼門を通り駐車場に向かいます。





北殿を離れた我らは西に進路を取り、嘗ての首里を東西に分けていた綾門大道(アイジョウウフミチ)方面へ向かいます。
テクテクと歩いていくと....
見えてきました!アレが守礼門です!




<15:23 守礼門 到着>

王みずから中国からの冊封使を三跪九叩頭の礼(さんききゅうこうとうのれい)をもって出迎えたという門です。
この三跪九叩頭の礼とは傍から見ると随分屈辱的なもので

「跪」の号令で跪き、
「一叩(または『一叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。
「二叩(または『再叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。
「三叩(または『三叩頭』)」の号令で手を地面につけ、額を地面に打ち付ける。
「起」の号令で起立する。

を三回繰り返すため合計九回土下座するようなのです。
この冊封体制、日本も以前は行われていたようなのですが聖徳太子の時代に「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」と送り中国とは対等国となる。
どうもアメリカでは日本の独立をこの607年としているようですね。冊封は皇帝の変わりに土地を管理できる任命制度としており世界を征服するという目的を持った中華帝国が辺境の地域を土地土地の豪族に貸す任命を行い王として統治を認める郡国制を元にして交易を認める仕組みのそうだ。よって全てが皇帝のものという認識が多かったわけだから言わば植民地的なものでもある。
この冊封、琉球の他、南越、李氏朝鮮なども行っていたが南越はフランスに琉球は日本に併合されたため最後まで残ったのは朝鮮だけだった。
その最後の朝鮮も日清戦争で勝利した日本が中国に朝鮮を独立させるよう求めたため1895年に終了している。
よって世界史上では朝鮮の独立は1895年ということになるのだがその後日本に併合されているので現在韓国の独立を終戦の年とされているようです。
この冊封国は全て三跪九叩頭の礼を行うようです。

さて薀蓄もここまでくれば学者級ですね...。笑

その守礼門に掲げられている「守禮之邦」も三跪九叩頭の礼に関係があり、礼節を尊ぶ国という意味があるそうです。



どうもこの守礼門、以前はガッカリ門など言われていたそうです。
というのもこの門が復元されたのが1958年。しかし復元されたのがこの門だけだったためここを訪れた人達はその門だけを見て大変落胆したという逸話があるそうです。
確かに昔の沖縄旅行のパンフレットには首礼門だけが写っていた気がしますね。首里城が復元された現在ではガッカリ門とはいわれなくなったようです。

さて我らは駐車場のある首里城公園レストセンターに戻りました。
レストセンターの上に展望台がありますのでそちらにも登ってみましたよ。







<15:27 首里城公園レストセンター着>

行きには気づかなかったのですがそこには首里城を中心とした現在の町並み模型と昔の首里の模型がありました。




大変楽しめます!

悠久の歴史を堪能した私たちは首里城公園を離れます。

<15:35 首里城公園 出発>

向かうはもう一つの世界遺産、神秘のパワースポット。斎場御嶽(せいふううたき)に向かいますよ!!


このページで作成したMMDポーズデータをDLしていただけます。

https://docs.google.com/open?id=0BwQDs72rXVp8dm01SDgwNlozaFE

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